ある日、長男の一人称が「ぼく」に変わりました。
3歳の誕生日を迎えてしばらく経ったころのことです。
「ぼく」だなんておにいさんみたい! かわいい!
と成長をよろこんでいました。
しかし数ヶ月後、よろこびは小さな胸の痛みに変わったのです。
長男のちょっと変わった一人称
▲ 前髪カットに失敗して原西さんみたいになった長男
2歳のころ長男は自分を名前で呼んでいました。
でも、うまく発音できなくて、本名とは少し違って聞こえる発音でした。
たとえば、「なおと」くんが
- なお → のー
- と → の
で、「のーの」と言っているように聞こえる感じ。
長男の本名はひみつですが、この記事ではわかりやすいように
- 名前:なおと
- 長男の一人称:のーの
と仮名で記します。
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親もそう呼んでいた
2歳くらいなら発音はまだまだ未発達だし、なによりかわいいので、わたしと妻もいちいち訂正したりすることもなく、いつの間にかわたしたちも「のーの」(仮名)と呼ぶようになっていました。
2歳前後だったら自分の名前を正確に発音できない子、たくさん(?)いますよね?
しゃおり(さおり)ちゃんとか、けいちゅけ(けいすけ)くんとか。
親がそれに乗っかることの是非はまた別の話としてありますが、「のーの」と呼ばれるのは本人もわりと気に入っていたようでした。本人公認のニックネームになっていたという状態です。
長男は「ら行」が「だ行」に近い感じに聞こえるパターンの滑舌です。
これがまたかわいくて、たとえば「どろどろ」は「どどどど」に聞こえます。めっちゃかわいい。どどどど。
こういうほほえましい・かわいいのって、おとなはつい笑ってしまうんですけど、本人はちゃんと発音しているつもりなので、マネしたり指摘したりすると怒るんですよね。そりゃそうだ、ごめん、長男。
ちなみに長女はか行→た行、が行→ら行・だ行でした。「ここ」は「とと」。
長女にも同じことしてた:
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とつぜんの方針転換
そして冒頭にも書いた、いまから数ヶ月前のある日、長男が急に「ぼく」と言いはじめたのです。
「のーの」がかわいかったので正直さみしい気持ちもありました。
でも「ぼく」「わたし」と呼ぶのはおにいさん・おねえさんというイメージもあるし、「ぼく」という長男も激Kawaii。
おお、わが子よ、おにいさんになったのだねぇ。
などと夫婦で、この方針転換をよろこんでおりました。
長男の告白
こうして「ぼく」にももうすっかり慣れた、先日。ふとした瞬間に長男がいいました。
「○○先生に「のーのじゃないでしょ」っていわれたから「ぼく」っていうの」
(〇〇先生は保育園の先生です)
「えぇ……」
わたしと妻はショックを受けました。
そんな理由があったとは。
長男には
- 上手に発音できなくたっていいんだよ
- もちろん「ぼく」もかっこいいよ
ということを伝えました。
時間が経つにつれいろんな気持ちが押し寄せましたが、一番はその事実を知らなくて、気づいてあげられなくてごめんということ。
能天気によろこんでいた自分がなさけなかったです。
なによりわたしたち夫婦も長女(姉)も「のーの」とニックネームで呼んでいたわけで、長男が先生に指導された責任はこちらにも大いにあるのです。
ニックネームやちゃん付けで自分の子を呼ぶことについては、いろんな意見がありますよね。
かく言うわたしも長女が2, 3歳のころまでちゃん付けで読んでいました。知人が「ちゃん付けで呼ぶ親は甘やかしているイメージがある」と言っているのを聞いて、そういう考えもあるのだなと知りました。「あの子は甘やかされてる」と思われるのも本人にとって理不尽だなという思いもあり、その後は呼び捨てになりました。他人に影響されすぎですね(恥)。
いっぽうで長男が生まれてからはいい意味で子育てが雑になり(笑)、ニックネームで呼ぼうがちゃん付けしようが別に良くね? と思っています。TPOに応じて最低限の使い分けができればいいんじゃないでしょうか。
本人はいえてるつもり
違うと言われても、本人は「なおと」といっているつもりなんです。ゆっくりゆっくり「な・お・と」とはいえるけど、スムーズにいおうとすると「のーの」になっちゃうんです。
おとなだって外国語や早口言葉はなかなかうまくいえません。
正しく発音しているつもりなのに違うといわれた長男の苦肉の策が「ぼく」だったんですね。
先生の指導への対応策を自分で考えた長男、えらい!
一人称はどうあるべきか
究極的には一人称なんて各人が好きにしろよ、ということですがバリエーションが豊富な日本語にあっては、いろいな習慣やらマナーやらがありますよね。
大人が「僕」は変とか。
めんどうなこともいろいろあるけど、いっぽうで自分の名前をただしく発音できるほうがいいのはあたりまえ。
でも2, 3歳の子がうまく言えなくてもしかたないよなーとも思います。
たとえば英語で自分の名前を言ったとします。
”I'm タロー.”
それを聞いた英語のネイティブスピーカーが
「それは違う、お前はTaroであってタローじゃない」
と言ったらどうでしょう。
わたしだったら、いやいや、なんで自分の名前を勝手に訂正されにゃならんのじゃい、って思います。R と L をただしく発音できるようにはなりたいですけど。
長男のケースでは
- 本人は「なおと」といえてるつもりの「のーの」
- 周りが呼ぶニックネームとしての「のーの」
が混在しているので若干ややこしいのですが、本人にとっては先ほどの英語の例のように、自分の名前を他の人に違うと言われてる状態だっと思うのです。
逆に先生は、ニックネームでなく自分のお名前を言えるようになりましょう、という意味での指導だったと思います。
(保育園には自分のことをニックネームで呼ぶ子が数名いましたが、他の子が同様に指導されたのか、ちょっと気になってます)
おわりに
そんなわけで、長男の一人称には少し悲しいというかかわいそうなエピソードが残ってしまいました。
記事タイトルは「奪われた」なんて大げさな言葉を使いましたが、先生に恨みがあったりするわけではありません。自分の名前をきちんと言えるのはとても大事ですから。迷子になったときとかね。
いまはもう「なおと」(仮名)とじょうずに言えるようになりましたし、「ぼく」もあと何年かしたら「オレ」に変わったりするのでしょう。
「オレ」に変わるきっかけはなにかな。できれば悲しいできごとがないといいな。
今はわたしのことを「おとーちゃん」と呼ぶけど、成人するころには「おやじ」とか言い出すのかな。
たのしみだな。
おわり
ところでなぜ東京の(?)小さい子たちは「オレ」のアクセントが「オ↑レ↓」(いちごオレのオレ)なんでしょうかね。高学年くらいからカフェオレのオレになるイメージ。